曹洞宗総持寺直系 大宮山東光寺

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3つの禅語

禅宗の教えを説く3つの禅語をご紹介します。
短い言葉に込められた深遠な禅の教えを感じることができるはずです。

放下著【ほうげじゃく】

こだわりや執着心など
心を縛るものを
捨て去りましょう
そうすれば本当の自分の姿が
見えてきます

解説を読む 放下著【ほうげじゃく】

この言葉は、物であれ、こだわりであれ、思いであれ、あらゆるものを捨てなさい。そうしなければ本当の自分を見つけることはできない、と教えています。
誰もがこだわりを持っています。「こだわりはない」という人もいますが、実は「自分にはこだわりはない。これが本当の自分だ」という思い込みを持っているに過ぎません。また、「こだわりを捨てよう。捨てなければ」と思うことも執着心なのです。
それらの思いこみや執着心を捨てたときに、ありのままの自分が見えてくるのです。もちろん「ありのまま」というのは、「わがまま」ということではありません。

無功徳【むくどく】

信心も他人への優しさも
見返りを求めて行なっては
徳は得られません

解説を読む 無功徳【むくどく】

武帝は仏教のために多くのことを行なった人でしたが、その人に「私にはどんな功徳がありますか?」と聞かれた達磨和尚はたった一言「功徳なんかないよ」と言ったわけです。
親の愛を無償の愛といいますが、何かを求めて子どもに愛情を注いでいるわけではないでしょう。見返りを求めず、困った人を放っておけないという自然にわき上がる気持ちにこそ功徳があるということです。

知足【ちそく】

生きている
ただそれだけで
充分に足りている
ということを知りましょう

解説を読む 知足【ちそく】

人は生きているだけで足りているということです。
「もっともっと」と、地位や名誉、お金を求めて生きてきた人が、大病を患い、死を実感してはじめて、それまでの自分は健康で幸せだったことを知るということがあります。
しかし「足るを知る」とは、病の床に伏しているときですら「足りていることを知る」ということです。病気をしたとき「あのころは足りていたんだ」ではなく、病気をした今も足りているんだという境涯までいくことが大事です。
何かを失ってはじめて満たされていたことに気づく人は多いものです。それがなければ、本当は充分に足りていることに気づかずに、ずっと「もっともっと」と際限なく求め続けることになってしまいます。
生死のものさしで見ることで足るを知ることができるのです。

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